病と闘うふたりの自由帳

病と闘うカップルが自由気ままに発信するブログ

梅田の雑踏の中に亡き恋人の面影を探して by いそ

こんにちは。


土曜日にひとりで梅田へ映画を観に行ったんですが、それなりに楽しく一日過ごせたんですけどなんか胸が苦しくなるほど切なかったです。


梅田と言えば、亡くなった円融さんとの思い出がそこかしこに転がってる場所です。


学生時代からふたりでしょっちゅう遊んでたのが梅田。
当時わたしは福島区、円融さんは旭区に住んでいたので、遊ぶのはキタが中心でした。
円融さんが通ってた予備校が梅田にあったため、円融さんが梅田周辺の地理に特に詳しかったのもあって、自然と梅田で遊ぶことが多かったです。


お金がないときは質素な手作り弁当を持って梅田に出かけたこともあります。
大都会のど真ん中、たくさんの人が行き交う隅っこにちんまりと座り、ふたりでコソコソと「エンジョイ貧乏ライフ!(笑)」とか言いながらお弁当つついたりしてた。


オシャレなお店や美味しいお店がたくさんあるのにタッパーにごはんとおかずを慎ましく詰めた手作り弁当だなんて。
あのときはとても恥ずかしくて少し惨めな気がしたものだけど、今思えば楽しかった。ふたりでいればお金がなくてもいつもたくさんの笑いがあった。



茶屋町のロフトもよく行ったし、エスト、HEPファイブ、ヨドバシカメラ、ホワイティ梅田、阪急三番街、東通り商店街、ディアモール、スカイビル、大丸阪急阪神、挙げればキリがないけどあちこちよく行ったなぁ。


そして阪急メンズ館には、HEPナビオだった頃から映画をよく観に行ってました。


きのう久しぶりに阪急メンズ館にあるTOHOシネマズ梅田で映画を観たんですが、エレベーターにひとりで乗っていても、エスカレーターを昇り降りしていても、そばに円融さんがいないのが不思議でたまらなくて、寂しくて泣きだしそうになるくらい、そこらじゅうに懐かしい記憶が匂いが染みついていました。


今や梅田はわたしたちが遊んでいた頃とは大きく変わったけれど、それでもまだ当時のままの梅田も確かにそこにあり、だからとても切なかったし、嬉しくもありました。


円融さんは生前、「移植して元気になったら、いそとまた一緒に梅田に行きたい。」と言っていました。「だいぶ変わってるよ〜。」と言うと、寂しげにしつつもその日が来るのをとても心待ちににしているのが伝わってきました。


心臓移植したら外食が出来なくなるからと、「ふたりでお出かけして、いそが美味しそうに食べるのをじっと見とく(笑)。」といつも冗談めかして言っていた円融さん。


その日が来るのをわたしも待ってたよ。
今も心のどこかでその時を待ってる気がする。
だから梅田でずっと円融さんの面影を探していたのかもしれない。


いつもの優しい笑顔で柔らかにわたしを呼ぶ声がする。
まだいろんなところに円融さんがいる。
それはわたしにとっていいことなのか悪いことなのかわからないけれど、自分を忘れないでと円融さんが願っているようでとても切ない。


忘れないよ。
忘れないからね。