病と闘うふたりの自由帳

心臓移植待機中の円融と精神疾患持ちで透析患者のいそが闘病生活を送りながら気ままに発信していきます。

投げやりになって服薬を拒否する by いそ

こんにちは。

昨日のアクセス数を見て、誰もわたしに星野源さんの本の感想は求めてないということがわかりました(笑)
非常に残念です(歯を食いしばりながら)。


闘病の話が聞きたいんですよね?
病気と闘うブログだもんね。
わかってますよ。
でもね、わたしだって星野源さんのエッセイを読んで興奮して思わず勢いで記事にしてしまう、そんな日もあるんですから。
読書ができて嬉しかったし。



閑話休題。
昨日の夜は実は最悪だったんですよ。
もともとストレスがたまっていたのか、看護師さんの態度のすべてに対して猛烈にイライラしてしまい、自分で感情がコントロールできそうにない状態に陥って、なぜそうなったかは自分でもよくわからないのですが薬を飲むことを拒否したんです。


かつて間違って他の患者さんの痔の薬を飲まされたことはありますけど(!)、病院でも外泊時でも薬は常にしっかり服用するわたしが初めて服薬を拒否。
自暴自棄になってしまって。あーもうやだやだって。


でも、ふと過去のある出来事を思い出したんです。


まだ今みたいに入院もしてなくて、家で療養していた頃なんですが、精神科の薬を大量服薬して警察や救急の方に大迷惑をかけながら病院に搬送されるってことが日常茶飯事になっていて、その日も例のごとく搬送先の病院で胃洗浄と臨時透析を夜中にしたんですけど、そこの精神科の先生に「これは主治医に対するひどい裏切り行為だ!」とかなり厳しく叱られたんですね。
そのときの情景や「主治医への裏切り」という言葉がずっと忘れられなくて。


大量服薬が主治医への裏切りなら、処方された薬をきちんと飲まないこともまた裏切りでは?


そんなことを思いました。
信頼している先生を裏切るようなことはしたくない。


詰め所に行って、結局なんだか気持ちがすっきりしないまま泣きながら薬を飲みました。
看護師さんが病室に付き添ってくれたのでわたしの話を聞いてくれるのかと思ったら、自分の旦那さんが認知症かもしれないという話を、泣いているわたしのそばで延々し始めて、呆れて涙が止まりました。


服薬を拒否したときは、もうあらゆる薬を今後一切拒む!ぐらいの意気込み(?)だったのですが、自分で自分のやってること、やろうとしてることの愚かさにも薄々気がついていたし、もうひとりの夜勤の看護師さんと話をしたらずいぶん心が軽くなったので、目の前のことから逃げてもしかたないと諦めることにしました。


星野源さんつながりじゃないけど、逃げるは恥だが役に立つって、病人には当てはまらないですよね。
単に恥で終わり。逃げたら自分に全部ツケが回ってきてあとで余計に苦しむだけで、なんの役にも立たない。役に立たないどころかマイナスでしかない。


薬を拒んだときは、自暴自棄になって自殺するより目の前のことから逃げるだけのほうがよっぽどましやろという気持ちでしたが、闘病することから逃げるのは死ぬことと同じ。
生きるために必要だから薬を飲んでいるし、透析もしている。精神科的にも、内科的にも、現状を維持できているのは治療を受けているから。


逃げ道なんてどこにもないのだから、せめてこの人生をとことん面白がれたらいいのに。
そのくらいの図太さがそろそろ備わってもいいのに。


今日明日この瞬間を生きるか死ぬかで闘っている人もいることはわかっているけれど、他人とくらべて自分が救われることなんてないし、そういう幸せの感じ方には何か違和感がある。
生きてるだけで丸儲け、なんて今のわたしには到底思えない。


看護師さんに「死にたい。何もかもが嫌になった。」と言ったら、「頑張れ。」と言われた。なんだかもう馬鹿馬鹿しくなった。
とりあえず今日一日、どんな無様でも情けなくてもちゃんと生きる。