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病と闘うふたりの自由帳

心臓移植待機中の円融と精神疾患持ちで透析患者のいそが闘病生活を送りながら気ままに発信していきます。

発信したSOSの行方は by いそ

こんにちは。

きのう、秋分の日。
祝日のためか病棟も比較的穏やかで、わたし自身も心身ともにとても落ち着いた状態でのんびりと一日を過ごすことができたのですが、それがかえって火種となり、消灯を過ぎてから「死にたい」という気持ちでいっぱいになりました。


夜勤の看護師さんはどちらかというと苦手な人だったので、どうしようかとしばらく暗い病室の中で悶々としていたのですが、結局、詰め所に行きました。


わたしの思いは「これ以上前に進むのが怖く、今この落ち着いているときに死んでしまいたい。」というものでした。
こういうのは誰でも感じることがあるごく当たり前な感情なのかもしれませんが、昨晩は、自死を現実の選択肢として考え、シャントを傷つければ簡単だというところまで思いつめていました。


わたしの「死にたい」という言葉を聞いた看護師さんはまず、「も~やめて(笑)」という、あまりにも軽いリアクションでした。


それでも椅子に座るように促され、看護師さんは何かアドバイスをしようとあれこれ話し始めました。
趣味を見つけたら?
参加できるOTはない?
刺繍やってみない?
旅行雑誌とか好き?


わたしはずっと、話が噛み合わないなぁと思いながら苦笑いを浮かべて聞いていました。
最後に言われたのは「みんないろいろ抱えてるけど、生きることは使命だから。」ということでした。


どんな過酷な人生でも生きていかなければならないことはわかっているし、自分だけがつらいなんて思ってもいない。
でも死にたいという思いに駆られて、下手をすると実行に移してしまうような危うさを自分に感じたとき、発信したSOSがうまくキャッチしてもらえないというのは辛すぎるし、悲しすぎます。


結局、看護師さんはわたしに「ごちゃごちゃ考えるより、夜は寝るのが一番いい。」と追加の睡眠剤を飲むように提案し、わたしはモヤモヤしたものを抱えながら睡眠剤を飲んで病室に戻りました。


主治医の先生からいつも言われてることは「SOSをうまく出すこと」。
今回、わたしは迷ったけれどSOSを出しました。
結果的には死ぬことはなかった。でもわたしの出したSOSはまだ宙をさまよってる気がします。


SOSを発信するというのはとても難しい。自分の中にあるものをどうやって表現すれば、誰かがそれに気づいて救いの手をうまく差し伸べてくれるのか。
わたしにとってはこれからもずっと課題です。