病と闘うふたりの自由帳

病と闘うカップルが自由気ままに発信するブログ

透析中に自己抜針 by いそ

こんにちは。

 
きのうは大変でした。
透析中に自分でいきなり針をガッと抜いてしまいました。
 
透析で使う血管は太くて血流も多いし、さらに針も太いので、抜いた瞬間からゴボゴボと血が噴き出して流れ続けました。
 
このまま死んでもいいやっていう気持ちでそれを眺めていたんですが、エラー音が鳴って看護師さんが気づき走ってきました。
 
「あかんときはあかんて言わんと!!」
「イライラしたん?!」
 
そう言いながら看護師さんたちはバタバタと止血したり回路を新しく変えたり(空気が入ってもう使える状態じゃなかった)。
わたしはただぼんやりとそれを眺めて、なんで抜いたのか自分でもうまく説明できずにいました。
 
振り返ってみると、ここ最近の軽躁状態をうまく自分でコントロールできなくなりつつあることへのなんとも言えない苛立ちのようなものがあり、根底には自傷したいという思いがずっとあり、それが自己抜針っていう結果になったように思います。
 
だいたい100ml程度の出血で済み、看護師さんたちも胸をなでおろしていました。
再度穿刺して透析再開。(しんどかったら穿刺せず、1本でもいいよと言われたけど、穿刺してもらいました。)
両腕はもう動かせないように太い紐で拘束。ベッドにくくられた状態。
 
そして先生に連絡してジアゼパムを1アンプル(2cc)筋注。いつもの倍量です。
わたしはそのまま眠ってしまいました。
 
病棟に帰ってからも、注射した薬の量が多すぎて眠りっぱなし。しんどくてなにもできなかった。
看護師さんからは「今日はもうなんもせんでええから、寝とき。」と言われて、本当に朝までぐっすりでした。
 
自己抜針したことで、透析室の看護師さんたちにかなりの迷惑をかけたことは反省しているんだけれど、不思議と自己嫌悪もなく後悔もないです。
それくらい自傷したかった。
溢れてくる血液を見てるときのなんとも言えない安堵感、満足感。
 
カッターで腕を切ることは主治医の先生との固い約束で「もうしない」と誓っているので、わたしの逃げ場は抜針しかなかった。自傷行為としての抜針、それがきのうなぜ抜針したかの説明というか理由かもしれません。勝手な言い分ですが。
 
自傷行為というのは普通の人にとってはまったく理解できないことだと思います。
わたしにとって自傷することは自罰行為であり、また生きてる実感を得るためであり、ときにはSOSの意味合いがあります。
いつかは自分の体を傷つけなくても生きていけるようにならないといけない。
ましてや透析中の抜針事故というのは死亡の可能性もある危険な行為です。
わかっていてやるのだから、相当タチが悪いのですが、きのうは本当にこのまま死んでもいいという気持ちでした。
 
きのうの今日なのでうまくまとまらないけれど、このことはきちんと書いておきたかったので、記事にしました。
 

 
今日は皮膚科受診。
またいつもの日常が始まります。