病と闘うふたりの自由帳

病と闘うカップルが自由気ままに発信するブログ

母親を愛せるか by いそ

こんにちは。

わたしは子どもの頃から心のどこかでずっと母親を軽蔑して嫌悪していたような気がします。
仲が悪いというわけではないけれど、ハッキリとした気持ちの悪さを感じていたのは確か。

幼い頃、わたしが同居している祖母(父の母)に可愛がられていることが気に入らず「あんたはおばあさんに似て汚い!」と罵られるということがよくありました。 
そのときの記憶はトラウマのように鮮明と刻まれています。
裏庭、水道、無花果の木、幼いわたし、そして顔を歪めてわたしを罵る母。

わたしが小学生のとき、逆流性腎症で岡山大学病院に入院中、残尿検査をするときになると、母はたいていいつも足下に立って、わたしが尿道カテーテルを入れられるところを凝視していました。子どもながらにそれがいやでたまらなかった。
どんな気持ちで我が子の性器をまじまじと見つめているんだろうか?
コノヒト、キモチワルイ。

腎盂腎炎で食事制限しなければならず、栄養指導を何度も受けましたが、母が家で実践することはありませんでした。「薄味にしたらお父さんが怒るもん。」とよく言っていたっけ。(分けて作るという考えはないのか?)
母が買ってきた漢方薬を煎じて飲まされて、そんなことには一生懸命なのに、腎臓病食はなにかと言い訳して作らず、結局あっという間に透析導入になってしまった。
それを恨んでるわけではないけれど、なんであのときわたしのために頑張ってくれなかったの?という思いは拭えない。

でも…
あれが母の全力だったのかもしれないなあ。

そう考えるようになったのは最近のこと。
今思えば、母親に”わたしの思う完璧”を求めて勝手に失望し絶望していた気がする。

母が突然「病気の子に産んでごめんね。」と泣きだしたときも、母からの生体腎移植の話が出たときも、とにかく嫌悪感しかなかった。
検査の結果、移植できないとわかってどれだけホッとしたことか。母の腎臓がわたしの体の中に入るなんて考えただけで反吐が出そうだった。
憎しみ、と言っていいかもしれない感情だけがあった。

でも、母はいつでもわたしに対して精一杯できることをやっていたのかもしれない。そう思うと、もはや赦すしかないんだという気がしてくる。
赦すというか、あの母をまるごと受け入れるというか。

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今朝、植物や花が大好きな母から送られてきた、道端で見つけたというレンギョウの写真。
花言葉を調べたら『希望』だった。

簡単ではないけれど、いつか母を心から愛せるときがくるかもしれない。
ピンボケのレンギョウを見ながら、そう思った。