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病と闘うふたりの自由帳

心臓移植待機中の円融と精神疾患持ちで透析患者のいそが闘病生活を送りながら気ままに発信していきます。

亡き父に思いを馳せる by いそ

こんにちは。
大荒れの天気。
病室でじっとしています。

父の思い出話がしたくなりました。

父は63歳のとき突然この世を去りました。
わたしが27歳のときです。

朝、母が父を起こそうとしたら亡くなっていて、母はパニック状態で救急車を要請したそうです。
わたしは大阪で一人暮らし、妹は実家暮らしでしたが、たまたま大雪で帰宅できず、勤め先の職員宿舎に泊まったため不在でした。

父の死因は当初心臓発作に因るものとされ、死亡診断書にもそのように記載されていました。
父は心臓が悪かったのでなんの疑問も抱きませんでしたが、警察はそうではなく他殺の可能性を示唆してきました。
母が疑われたのです。
お葬式の最中にパトカーで乗りつけてきて「解剖したい」と言われました。
これには親戚一同激怒。
田舎の小さな町で、こんなことはすぐに悪い噂になる。
しかし、話し合いの末、やむを得ないということで、遺体を警察に引き渡しました。
結果、死因は脳溢血と判明し、警察からは謝罪があり、近所の人を集めて事情説明もしてもらいました。

遺体が戻ってから家族と身内のほんの数人だけで火葬場に行きました。
母も妹も泣き崩れていたので、しかたなくわたしが火葬のボタンを押しました。
お父さん、ボタン押すよ、ごめんね。
涙が溢れて止まりませんでした。
なぜかこのときのことは強烈に心に刻まれています。

晩年の父は会社の顧問のような仕事をしつつ、闘病生活をしていました。
心筋梗塞を何度か起こし、心臓も弱っていましたし、高血圧もありました。
糖尿病も患っていて入院してインスリンを打っていたのですが、食べることが大好きな父が間食を一切やめ、毎日一万歩歩くという生活にしたところ、糖尿病は内服薬だけでいいところまで改善しました。
ヘビースモーカーでしたが煙草もやめました。
帰省するたびに父の体が小さくなっていくのを見て、なんだか胸が痛みました。

父は昔気質な人で、『サザエさん』の波平さんをもっともっと高圧的にしたような父親でした。
わたしが子どもの頃には、父の友人知人からどれだけ父が頭の良い人間かということをよく聞かされたものです。
わたしは父ほど賢い人間ではないことがコンプレックスでしたし、馬鹿な子だと思われることを恐れてもいました。

父がまだ高校生だったときに、たまたま小泉八雲の「雪女」英語版を読んだら、それが国鉄の試験に出題されてスラスラ解けたという思い出話をいつも嬉しそうに教えてくれました。
そのときトップの成績で合格したことも父の自慢話のひとつでした。

自信家で、見栄っ張りで、とにかくプライドが高かった父。
頼まれると何でも引き受ける世話好きでお人好しな一面もありました。
晩年はとても穏やかで優しかったせいか、父のことを思い出すとき、いつも笑顔ばかりが浮かびます。

また会いたいな、とふと思う。
野球が大好きだった父とまた甲子園球場に観戦に行きたいです。
タイガースの監督は和田豊なんだよ。
お父さん。
時の経つのは早いね。

でもわたしが精神科に何年も入院していることを知ったら、公務員を辞めたことを知ったら、父はどう思うだろうか。

知られなくてよかった。

長生きしてほしかったけど、27歳のわたしが父の最期の記憶になったことは、今となっては救いです。

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